師範学校豫科生の思い出 その3

寂しい寮の食事

 

昭和二十二年は、冷害の酷い年であった。

 

学校から渡り廊下を通って寮に帰っても、

シーンとした、火の気のない部屋で丹前(ドテラと呼んでいた)

にくるまって震えていた。

 

朝、六時には、「起床ッ!」と大声で怒鳴る先輩の号令で

「ガバッ」と跳ね起き、洗面、掃除、食事の準備と慌ただしく、

油と泥の染み込んだ廊下の雑巾掛けをするのである。

 

炊事当番が、北寮の炊事場から、汁物等を、

蓋もしていない桶に入れて、馬糞風の舞う廊下を横切って持って来る食事を

盛り付ける前に済ませなければならない。

 

寮の食事の粗末な事は、筆舌に尽く難い物であった。

 

朝食は、ジャガイモとトウキビの粉をコネ合わせたものが一握り程、

ホタテの殻に載り、おつゆはと言えば、桶に三分の二位も入っていても、

底まで透き通って見える塩汁(味噌汁ではない)に「ワカメ」の葉が

パラ、パラと入ったもので、こんな物を飲んだら、

忽ち腹具合が悪く、ブッ倒れそうになる。

 

昼食は、トウキビの粉に澱粉を混ぜた平たい団子二枚で、

手の平に乗せて一握りすれば、端もはみ出さない。

 

夕食は、親指の先程に小さくした小団子の周りに、

飯粒が食っ付いた物が、貝殻にちょこんと載り、

それに沢庵が二切れ付いている。

 

献立は多少変化するにしても、

概ねこんな状態である。