師範学校豫科生の思い出

師範学校豫科生の思い出 その4

もう六月だというのに、その寒さは一体どうした事か。 朝の雑巾がけで、あの「シンパレ」(霜焼け)が顔を出し、 今まで足の指だけだったのに、両手の指まであがり、 寮友の誰もがそんな事はないのにどうしてだろう。 薬も包帯も無く、赤く腫れ上がり、痒く…

師範学校豫科生の思い出 その3

寂しい寮の食事 昭和二十二年は、冷害の酷い年であった。 学校から渡り廊下を通って寮に帰っても、 シーンとした、火の気のない部屋で丹前(ドテラと呼んでいた) にくるまって震えていた。 朝、六時には、「起床ッ!」と大声で怒鳴る先輩の号令で 「ガバッ…

師範学校豫科生の思い出 その2

2 忘れられない豫科一年生 当時の師範学校は、第一が札幌、第二が函館、第三が旭川であり、 それぞれ「北海道第一師範学校」、「北海道第二師範学校」等と呼び、 本科と豫科の二部制であり、函館の場合は、豫科の場合を略称して、 「北二師豫科」と呼んでい…

師範学校豫科生の思い出 

1 旅立ちの日 終戦の時、高等科二年生だった少年は、 卒業後、家業である漁業の手伝いをしたり、電灯をつける為、 東京の「測量技師」にくっついて、電柱を立てる場所の測量をしたり、 あの重い電柱を四人で、凸凹の畑の上を、目から「クチュクチュ」あぶく…